シアターレポート №36

アナログレコード・コレクション(12)
 アンティーク・シアター収蔵の“オールディーズ・レコードコレクション”今回はブリティッシュ・ポップスの女性シンガー二人を紹介します。(シアター支配人)


 『ヘレン・シャピロ』は60年代前半のイギリスを代表する女性ポップス歌手です。鼻にかかった独特の歌声が魅力的で、センチメンタルな日本デビュー曲“悲しき片想い”と第二弾アップテンポの“子供じゃないの”は1961年に大ヒットしました。2曲とも日本語の歌詞が付けられ“弘田三枝子”の歌でも人気がありました。


 『アルマ・コ―ガン』もビートルズ登場以前60年代前半イギリス音楽界でトップの人気を誇った女性ポップ歌手です。日本でのデビュー曲は“恋の汽車ポッポ”ですが、人気を決定づけたのが1961年の“ポケット・トランジスター”。速いテンポの演奏に、女性のキュートな歌声がからんだ若さと活気あふれる曲です。日本では『森山加代子』も歌っていました。

























シアターレポート №35

アナログレコード・コレクション(11)
アンティーク・シアター収蔵の“オールディーズ・レコードコレクション”今回は男声コーラスグループを紹介します。(シアター支配人)



最初は『カスケーズ』の代表作、“悲しき雨音”です。ソフトなハーモニーと耳あたりの良いポップなメロディーが、さわやかさ、新鮮さを感じさせ、1963年に大ヒットしました。イントロでの雷雨の効果音も印象的で、梅雨時には今日でもよく聞かれる名曲です。



『フォア・シーズンズ』の“シェリー”は、特徴のあるファルセット・ヴォイスのリードボーカルで1962年に大ヒットしました。日本では、ダニー飯田パラダイスキング+九重佑三子の歌でもお馴染みです。





















十村役・竹島家住宅の屋敷構え

富山藩十村役住宅・屋敷構えの外溝的な特徴としては多くが敷地全体の四隅を東西南北にあて、正面を東南に向けています。東南面右寄りには表門である“長屋門”(十村役門)、左寄りには藩主専用の“御成門”が設けられ、敷地全体が土塁(石垣)外塀、堀で囲まれています。ほかに竹島家住宅では南西面・外塀の一部に藩主・緊急脱出用の“埋門”(うずみもん)も残されています。

屋敷の正面(東南面) 奥から“長屋門””御成門”が配置されています。





屋敷(南西面)の外塀には、塀の一部に見せかけた“埋門”があります。



(指定文化財竹島家住宅”の詳細については、右上のリンク先「富山藩十村役・竹島家住宅」へ)

































富山大空襲と竹島家住宅

太平洋戦争末期の昭和20年8月2日未明、米軍による空襲で富山市の旧市内全域が焼け野原になりました。最初から住宅密集地、市街地破壊を目的とした無差別焼夷弾爆撃で犠牲者数は2719人に達し、目標破壊率は99,5%、焼失率は全国1であったと記録に残されています。ところで指定文化財竹島家住宅」のある富山駅北側の奥田地域も空襲被害を受けた事は、あまり知られていないようです。「竹島家住宅」にも、焼夷弾が降り注ぎ、2棟の“道具蔵”の内の1棟と、裏門などが火災で焼失しましたが、幸運にも“主屋”“御成門”“長屋門”などの主要建造物は、難を逃れました。“米蔵”も焼夷弾の直撃を受け、置き屋根が全焼し、腰板の一部を燃やしましたが、本体の消失は免れました。その後、置き屋根は修復されましたが、焼け焦げた土壁・腰板の一部は、現在も当時のまま残っています。戦後67年も経過した現在、空襲体験者が少なくなり、人々の記憶が風化していく中、この“米蔵”は、残された数少ない空襲の“語り部”と言えるのかもしれません。


空襲の焼跡が残る「竹島家住宅・米蔵」の腰板





(指定文化財竹島家住宅”の詳細については、右上リンク先「富山藩十村役・竹島家住宅」へ)