シアターレポート №34

アナログレコード・コレクション(10)
アンティーク・シアター収蔵の“オールディーズ・レコードコレクション” 今回は『ジーン・ピット二ー』です。(シアター支配人)




ジーン・ピットニ―』は、当時のアメリカでは人気のシンガーソング・ライター。この軽快なロックン・ロールの“ルイジアナ・ママ”は、かん高いジーンの歌声にもマッチして1962年 日本だけで大ヒットした曲です。日本人では『飯田久彦』がカバーしてヒットしました。



“リバティー・バランスを撃った男”は 『ジョン・ウエイン』主演の西部劇と同じタイトルですが、たまたま同映画に触発されて作られたもので直接関係はありません。いかにも映画主題歌風の曲ですが映画には一切使用されていないのです。それでも映画とレコードが発表されたのが同じ1962年、日米ではどちらもヒットしたという珍しい例です。































シアターレポート №33

アナログレコード・コレクション(9)                 
アンティーク・シアター収蔵の“オールディーズ・レコードコレクション”。今回は『ジョニー・ソマーズ』です。 (シアター支配人)




“ワン・ボーイ”は、ミュージカル映画「バイ・バイ・バーディー」の中で歌われていた曲です。これを最初にシングル発売したのが『ジョニー・ソマーズ』で映画人気にも乗り1963年にヒットしました。日本人では“伊東ゆかり”が歌っています。



“内気なジョニー”はソマーズの第2弾として1963年にヒットしました 。彼女はアメリカではスタンダードジャズ等も歌う大人の歌手として知られていましたが、日本では、少し鼻にかかったハスキーな声が魅力のコマーシャルなポップ・シンガーとして人気を獲得しました。









































シアターレポート №32

アナログレコード・コレクション(8)
アンティーク・シアター 収蔵の”オールディーズ・レコードコレクション”。今回は『ジョン・レイトン』です。 (シアター支配人)




『ジョン・レイトン』は映画“大脱走”などにも出演していたイギリスの俳優ですが、シンガーとして1962年に発表したポップスが“霧の中のジョニー”です。日本人好みのセンチメンタルなメロディーのこの作品は、イギリスだけでなくわが国でも大ヒットしました。日本人では克美しげるが歌っていました。



“霧の中のロンリー・シティー”は、邦題「霧…」シリーズの第2弾。前作によく似た力強くドラマチックな構成のこのポップスは同じく1962年に英・日両方でヒットしました。






























富岩運河と竹島家

富山駅北・奥田地区にある“富岩運河”が計画・着工された頃、運河の船溜まり(現在の環水公園)〜中島閘門辺りにかけては、上新川郡奥田村(下新、上新、中島、下桑原、西川原、西田の6カ村よりなる)の一部で、まだ富山市ではありませんでした。当時この"奥田村村長”を務めていた竹島家14代目"寛"は、昭和4年から始まった「富岩運河」の掘削事業や、周辺の中島火力発電所大平洋金属、興人パルプなどの工場誘致、富山港と市街地を結ぶ大動脈「富岩街道」(現在の県道富山港線)の建設等に多大な貢献をしました。事業推進に当たっては自ら率先して土地を提供する等、工場用地と「富岩運河」全体の実に6割近くの土地が"竹島家”の供与だったと言われています。この様に“寛”が中心になって昭和2年頃から推し進めた一大事業が、昭和8年に合併した富山市に引き継がれ、後の富山市北部工業地帯、更には北部地域全体を発展させるけん引車の役割を果たす事になったのです。"寛"には運河掘削で出た土砂を現在の富山県庁、市役所周辺(当時は神通川の廃川地)の埋め立てに利用する事を提案したと言うエピソードが残されています。現在“富岩運河”に、ほど近い富山市下新本町には、近世から近代にかけて市北部地域の歴史に深く関わってきた“竹島家の住宅”が富山市指定文化財として保存されています。

平成4年当時の「富岩運河」船溜まり最奥部の風景(現在の富岩運河環水公園)

(市指定文化財竹島家住宅”の詳細については、右上リンク先「富山藩十村役・竹島家住宅」へ)



















シアターレポート №31

アナログレコード・コレクション(7)
アンティーク・シアター収蔵の“オールディーズ・レコードコレクション”。今回は『ニール・セダカ』です。 (シアター支配人)




 “恋の日記”は1959年『ニール・セダカ』19才のデビュー曲です。彼は名門ジュリアード音楽院でクラシックピアノを学んだ俊才で、ソングライターとしても多くのシンガーに曲を提供しています。




 ”カレンダー・ガール”は1961年ラジオのヒット・パレード番組で高い人気を集めました。テンポ・アップされたポップなメロディーに『ニール・セダカ』独特ののソプラノ・ヴォイスがマッチした軽快な作品です。日本では坂本九が歌っていました。































シアターレポート №30

アナログレコード・コレクション(6)
アンティーク・シアター収蔵の”オールディーズ・レコードコレクション”。今回は『ポールとポーラ』です。 (シアター支配人)




 『ポールとポーラ』の代表作、”ヘイ・ポーラ”。1962年に日本でも”田辺靖男と梓みちよ”のコンビで大ヒットしたカレッジソングの決定盤です。





 同じ1962年の“けんかでデ−ト”は”ヘイ・ポーラ”に続く3作目のヒット曲。『ポールとポーラ』は同じ学校の同窓生でした。